クラシックロックドリルの世界
第13回 322D レッグドリル
322Dと古河レッグドリルの歴史(1956年:昭和31年)
手持ち式小型ドリル(ハンドドリル)の当初の目的は下向せん孔用さく岩機で、シンカードリルと呼ばれていました。
その後シンカードリルを手持ちで横向きに使った方がドリフタより簡便なので横向きせん孔用に用いられるようになりました。
通常さく岩機では40~100kgの押し付け力が必要ですが、人間ひとりの押し付け力は20kg程度です。
従って人間が二人又は三人でさく岩機の重量を支えて横向きに岩盤に押し付けても押し付け力が不足し、激しい振動が発生してせん孔速度の低下、ロッドの折損、作業者の甚だしい疲労につながりました。
使用者としても色々と工夫をし、足尾では矢木と称する木片上でさく岩機を支えたり、スクリュー式レッグを考案したりしました。
しかしこれらは何れも反動の一部とさく岩機の重量を支えるだけで、積極的に岩盤に押し付けるには人力を必要としました。
そこで、圧縮空気の力で伸縮するシリンダーを取り付けて空気の力でさく岩機の重量を支えながら岩盤に押し付けるさく岩機が発明されました。さく岩機から一本脚(Leg)が生えているように見えることからレッグドリルと呼ばれました。
レッグドリルはレッグの角度とさく岩機の重量のバランスを取る事で50Kg以上の力でさく岩機を押し付ける事ができました。
昭和22年(1947年)頃インガソールランド社のジャックレッグをモデルに金城鑿岩機(愛知)※がエアーレッグを製作しましたが殆ど広まりませんでした。
翌年、足尾で2Ⅼレッグを製作し、ASD25と一緒に販売したところ非常に広く受入れられ普及しましたのでレッグドリルの先鞭は足尾が付けたと見なされています。
引用「エアサポータの使い方」東洋工業株式会社
レッグドリルでのせん孔姿勢
初期の2Ⅼレッグはシリンダの伸縮を排気量を一定とした上で入気量調整で行っていましたが、昭和29年(1954年)にデンバー社S48の圧力調整式レッグが輸入されると圧力調整が非常に簡単に行えることから広く用いられるようになりました。
古河でも早速圧力調整型FL3レッグを開発し、1955年にASD22と一緒に販売を開始しました。
ASD22とFL3の組合せは非常な好評でしたが、さく岩機用とレッグ用にエアホースが2本必要であり、さく岩機とレッグの操作部が離れているため使いずらいなどの問題がありました。
そこで昭和31年(1956年)にそれらの問題点を改良した国産初のレッグドリル専用機322Dと専用レッグLB56が開発されました。
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322D レッグドリル |
重量 |
24kg |
シリンダ内径 |
70㎜ |
ピストン
ストローク |
70㎜ |
バルブ形式 |
全自動バルブ
AUTOMATIC VALVE |
バルブ形状 |
チューブ+フランジ型 |
打撃数 |
1850回/分 |
レッグ形式 |
LB56 |
重量 |
11.5kg |
全長(最短) |
1320mm |
全長(最長) |
2320mm |
フィード
シリンダ内径 |
56mm |
322Dレッグドリルは本体内を通してレッグに空気を送る様にしたことにより空気ホースは本体用の1本で良くなり、また操作部が集約されたため操作性が向上しました。
また、せん孔性能も海外製大型レッグと同等以上あり、ジュラルミン製のレッグLB56との組合せは非常に軽量で扱いやすいことから市場では好評で迎えられました。
昭和30年代には台湾、韓国、フィリピン、インド、ボリビヤ、中国などアジア圏を中心に活発に輸出され、古河さく岩機の声価を高めました。
322Dの作動状態
※金城鑿岩機は第二次大戦中は鑿岩機の熱処理技術を生かして30年式銃剣を名古屋陸軍造兵廠に納めていました。
次回は番外編④「空圧さく岩機のロッド・ビット-⑴」です。