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第1回 壱番型/弐番型(ASD10)/ASD11 足尾式小型さく岩機

足尾銅山では採鉱の機械化のため、初期から外国製さく岩機を輸入して使用しました1)

西暦 和暦 足尾銅山 年表
1886 明治19 通洞開鑿起工の時よりシュラム式さく岩機を使用開始
1897 明治30 シーメンス式電気さく岩機を使用するが成績不良
1902 明治35 コンプレッサーを光盛第二竪坑に据付け、ライナー式さく岩機の使用開始
1903 明治36 動力の不足によりシュラム式、ライナー式両機の使用を中止する
1905 明治38 上記両機の使用を再開し横間第三竪坑、光盛第二竪坑を開鑿する
リットルヴォンダー式さく岩機の使用開始
ショー式さく岩機を試用するが不結果に終わる
1906 明治39 ライナーテリヤー式小型さく岩機を試用する。好成績
1907 明治40 ウォーターライナー5番C型を10台輸入して使用7)

明治40年には合計88台の各種外国製さく岩機が使用されていました。

さく岩機 台数(明治40年)
ライナー式 59
リットルヴォンダー式 19
ショー式 1
テリヤー式 1
シーメンス式 4
シュラム式 4
合計 88

しかし、これら外国製さく岩機は大型で日本人が扱うには重量過大なことから、銅山工作課ではより日本人に適した小型軽量なさく岩機の開発を行い、1914年(大正3年)に国産初のさく岩機(足尾式壱番型)を開発しました2)

1番型さく岩機
壱番型さく岩機

壱番型さく岩機はピストンバルブ(バルブレス)というピストン自身がバルブの役目をする構造になっています。
バルブが無いため、ピストンの前進・後退が始まると直ちに吸気孔が閉じられて圧縮空気の供給が止まるため能率が低下してしまいます。

そこで、同じく1914(大正3)年、ドイツ・フロットマン式GAエヤーハンマを参考に、バルブ付の弐番型さく岩機を開発しました3)。開発者は銅山工作課機械掛「川原崎道之助」氏です4)

二番型さく岩機
弐番型さく岩機

弐番型さく岩機の特徴は、バルブをフロットマン式の鋼球から、そろばん玉形にして低圧でも軽快に作動するようにした点です。

ボール型バルブ
ボール型バルブ(カットモデル)
鋼球が左右に動いて空気の通路を切替える
ASD11の設計図
そろばん玉型バルブ詳細
中心のそろばん玉型バルブが左右に動いて空気の通路を切り替える
バルブ重量は同じ径の鋼球の半分以下

弐番型さく岩機は同年50台量産され、足尾銅山で使用されました3)。同時に工作課ではさく岩機工場を新設し、1916年(大正5年)に弐番型さく岩機をASD10として販売を開始しました。
ASD10(弐番型さく岩機)のロッド回転機構は、初期フロットマン式さく岩機の回転機構を参考としたため、ラチェットとチャックの一体構造型となっており、ピストンの前進運動を回転運動に変換する構造となっていました。
このため、ピストンの打撃エネルギーがロッド回転に使用されるため、打撃力が弱くなる欠点がありました。

この欠点を改善するため、ASD10のラチェットとチャックを別部品として、ピストン後退時に回転運動を行う構造に改良し、1920年にASD11として販売されました5)(ASD10は後に販売終了)。
ASD10とASD11は、ロッド回転機構が違うだけで、バルブ、シリンダは同一の物を使用しています。
ASD11では、ピストンの前進エネルギーは打撃のみに使用されるようになっため、ASD10よりせん孔速度が上昇しました。
川原崎氏の考案したそろばん玉型バルブを使用するさく岩機は、小型軽量なことから「足尾式小型さく岩機」として広く受け入れられ、古河のさく岩機ブランドを確立しました。
ASD11は、1950年代まで30年以上製造されました。

ASD11 昭和3年版 古河合名会社 さく岩機型碌より
ASD11(昭和13年1月版 古河合名会社 足尾式さく岩機型碌6)より)

部番を見ると、ASD10との共通部品が分かります。

ASD10
重量5.6Kg
シリンダ内径41㎜
ピストンストローク38㎜
バルブ形式反動バルブ
REACTION VALVE
バルブ形状そろばん玉型
空気消費量0.90㎥/分
打撃数2400回/分
せん孔速度50~130mm/分

ASD11
ASD11
ASD11
ロッド挿入口

足尾式小型さく岩機設計者 川原﨑道之助氏
写真右端が川原崎氏(写真提供:古河足尾歴史館)
写真右端が川原﨑氏(写真提供:古河足尾歴史館)
新型さく岩機考案に対する褒賞金200円の彰状
新型さく岩機考案に対する表彰金200円の彰状

略歴:
1886(明治19)年4月 栃木県下都賀郡野木村に生まれる。
1907(明治40)年7月 工手学校(現 工学院大学)機械学科を卒業(第36回卒業生)し古河鉱業に入社。
1914(大正3)年 足尾式弐番型さく岩機を考案。古河虎之助社長から表彰金200円(鉱夫の日当約167日分)を頂く。
1931(昭和6)年 古河好間炭鉱に移る。
1947(昭和22)年 古河鉱業退職。

ASD11 動作の様子

引用:
1)採鉱法調査報文(第二回)農務省鉱山局、明治42年3月25日印刷
2)(大正7年度)足尾銅山 本山採鉱及選鉱報告, 実川兌三, 1919刊, p.35, 東京大学理工図書館蔵
3)(大正6年度)足尾銅山通洞坑報告, 傳式説, 1918刊, p.32, 東京大学理工図書館蔵
4)(大正4年度)足尾銅山報告, 黒河内平治, 1916刊, 上巻 p.146, 東京大学理工図書館蔵
5)(大正10年度)足尾銅山報告及計画報告, 宮崎繁, 1922刊, p.60, 東京大学理工図書館蔵
6)写真提供 JX金属グループ 日鉱記念館
7)九州大学の削岩機コレクション, 中西哲也, 九州大学総合研究博物館ニュース No.29 p.8, 2018年3月

次回はASD20(1920年頃)を紹介予定です。