クラシックロックドリルの世界
第9回 ASD26 (大型手持ちさく岩機)
1951年 重量:26.4~27.8Kg
戦前1930年前後の国内空圧さく岩機市場のシェアは米国インガーソルランド社が約40%を占め、米国ガードナーデンバー社(約20%)、足尾式(約15%)という状態でした。
満州事変以降(1931年~)の景気拡大を受けて日本国内や朝鮮半島でダム、道路、鉄道、軍事施設などの大規模土木工事が行われてさく岩機需要が高まると、山本鐵工所(広島)、大成鑿岩機(愛知)、帝国鑿岩機(愛知)など新たにさく岩機の製造を開始する会社が出てきました。
新規参入会社のほとんどはバルブ加工が容易なフラッパーバルブを採用しているインガーソルランド形式のさく岩機を製作しました。
そのような中、1935年(昭和10年)に広島の東洋工業株式会社(現:マツダ株式会社)が)がインガーソルランド形式のさく岩機(R39ジャックハンマー,S49ジャックハンマー,L67ジャックハンマー、L74ドリフタ、CC11ストーパー)の製造販売を本格的に開始しました。
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古河鉱業
(デンバー形式)
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東洋工業
(インガーソルランド形式) |
形式 |
S55 |
S49 |
重量 |
28Kg |
27Kg |
シリンダ内径 |
66.7㎜(2⅝インチ) |
66.7㎜(2⅝インチ) |
ピストンストローク |
63.5㎜(2½インチ) |
63.5㎜(2½インチ) |
バルブ形式 |
半自動バルブ
SEMI-AUTOMATIC VALVE |
反動バルブ
REACTION VALVE |
バルブ形状 |
フランジ型 |
フラッパー型 |
打撃数 |
1900回/分 |
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東洋工業はオート三輪生産で培った生産技術を生かしてさく岩機の大量生産を行った事から、国内市場は一気に古河 対 東洋の販売競争の様相となりました。
重量40ポンドクラスの中型さく岩機は足尾ASD25がR39より性能的に優位でしたが、重量50ポンドクラスの大型さく岩機は古河のデンバー形式さく岩機S55と東洋工業のインガーソルランド形式さく岩機S49はほぼ同等の性能であったことから販売に
鎬を削ることとなりました。
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ASD26 |
重量 |
27Kg |
シリンダ内径 |
76㎜ |
ピストンストローク |
63㎜ |
バルブ形式 |
半自動バルブ
SEMI-AUTOMATIC VALVE |
バルブ形状 |
フランジ型 |
打撃数 |
2100回/分 |
戦後になりさく岩機の開発が再開されると、各社は戦争中の技術の遅れを取り戻すべく海外の最新技術動向を取り入れた新型さく岩機の開発をスタートしました。
古河でも新型大型さく岩機ASD26の開発が開始されます。足尾地区は戦争中に空襲による被害を受けなかったため新型さく岩機の開発は当初順調に進んでいましたが、昭和23年11月にさく岩機工場に火災が発生して建屋・設備に甚大な被害が発生したため、新型さく岩機ASD26の発売は1951年(昭和26年)となりました。
この間に東洋工業は国産初の全自動バルブ搭載さく岩機TY24を1950年(昭和25年)に販売しました。販売で先行されたASD26は販売面で苦戦することになります。
性能的には打撃力が強いASD26は硬岩、タガネの回転力が強いTY24が軟岩に向いていました。
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東洋工業
TY24
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重量 |
25Kg |
シリンダ内径 |
66.7㎜(2⅝インチ) |
ピストンストローク |
68㎜ |
バルブ形式 |
全自動バルブ
AUTOMATIC VALVE |
バルブ形状 |
チューブ+フランジ型 |
打撃数 |
2000回/分 |
ASD26 動作状態
ASD26は古河として当初からレッグドリルとして使用される事を考慮し、かつ新型の超硬製ビット(タガネ)の能力を生かす高打撃力型のさく岩機として開発されました。
(それまでの鋼製ビットは打撃力を上げると刃先が短時間で鈍るため、打撃力の向上に限界がありました)
またASD26のバルブセットを利用してASD31(ライトドリフタ)、ASD45(大型ストーパー)も開発されました。
ASD26は古河の戦後第一号さく岩機として新技術の実用化に貢献しましたが、1955年(昭和30年)3月に全自動バルブを採用したより軽量高性能な新型さく岩機ASD22が販売開始されると間もなく生産中止となりました。
引用 「1920-1970 東洋工業五十年史」-沿革編 東洋工業株式会社 1971年
TY24カタログ 東洋工業株式会社
次回はPA16(1957年)を予定しています。